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さいかい その3

 

 
円上香澄は古びた屋敷の前に立っていた。
ここに来るのは6年ぶり、2度目だ。
6年前、退魔師としてそれなりに名を知られた彼女は地方の大地主である高槻家の当主からある依頼を受けた。
普段家族や住み込みの使用人が使っている屋敷の裏手にある古い建物。
記録によれば明治時代に建てられたそこに妖魔が現れたため、それを払って欲しいという最もスタンダードなタイプの依頼だった。
しかし屋敷に到着した香澄を待っていたのはあまり良くない報せに迎えられることになった。
高槻家の娘2人の行方がわからなくなっていたのだ。
香澄は最悪の事態を想定しながらすぐにその建物に向かい、辛うじて妹の方だけは救出に成功した。

6年を隔ててもう1度見た屋敷は、香澄が初めて駆けつけたとき同様、いやそれ以上に禍禍しい雰囲気を放っていた。
本来それはありえないはずの光景だった。
6年前、妖魔の本体を倒した彼女はそれから1週間ほどかけて徹底的に残った妖気を払い、再び同じ事が起こらないように結界を施していた。
その結界があれば、6年やそこらでここまで妖気が溜まるはずがない。
そう、結界があれば、だ。
もはや目の前の屋敷は結界による保護を受けていなかった。
そもそも香澄が再びこの地を訪れたのは3日前に結界の消失を感じたからだ。
なぜ結界が消えたのかはわからない。
信じたくはないが、設置の際に何かミスがあったのかもしれない。
それを確かめ、もう1度結界を設置するために訪れた香澄を迎えたのはやはり悪い報せだった。

沙耶が再び姿を消していた。
屋敷を覆う妖気と消えた娘。
6年前と状況が重なりすぎている以上楽観的になれるはずがない。
しかもさらに悪いことに沙耶が姿を消してから既に2日が過ぎていた。
6年前は半日でもギリギリだった。
あと少し遅れていれば姉だけでなく妹の方も食われ始めていただろう。
今回は2日、しかもたった1人だ。
何の力もない少女が耐えるにはあまりにも絶望的過ぎる時間に
暗澹たる思いに包まれながら、香澄は扉に手をかけた。

既に日は落ちており、電気が通っていない屋敷の中は静寂と闇に包まれていた。
それも6年前と同じだ。
本来なら妖魔の力が強くなる夜に行動することは避けるべきだったが、救出対象がいる以上は待っていられるわけがなかった。
たとえ間に合う可能性が1%に満たなくてもだ。
1歩踏み込んだところで床を確認すると、玄関ホールに厚く降り積もった埃に小さな足跡が1人分刻まれていた。
6年前と同じように足跡――あの時は2人分だったが――をたどっていく。
その足跡は玄関ホール奥の階段をのぼり、2階の廊下1番手前の部屋へと続いていた。
思わず重い息をついてしまう。
部屋までも一致している。
それはタチの悪い冗談のようだった。
扉を開けた途端クラッカーが打ち鳴らされ、この6年間ですっかり成長したあの時の少女がニコニコしながら迎えてくれるのではないか。
そんな荒唐無稽な想像まで頭の隅をよぎる。
だがこれがそんな冗談ではないことは、もはや本人が意識しなくとも妖気を感じて警鐘を鳴らしてくれる自分の感覚が証明してくれている。
香澄はもう1度重い息をつき扉を開けた。

部屋の中には1人の少女がいた。
一糸纏わぬ姿なのはあの時と同様、ただ6年前この部屋で香澄がその命を断った姉と見間違うばかりに成長したその裸身を、沙耶という名前の妹は恥ずかしげもなく晒している。
怪物に拘束され隠そうとしても隠せなかったあの時とは違い、少なくとも見た目には動きを制限されている様子はない。
その姿に、悪い想像の中でも最悪なものが実現してしまったことを香澄は認めざるをえなかった。
「お久しぶりですね、香澄さん」
涼やかな声音で沙耶が再会の挨拶を紡ぐ。
その声は多少変わってはいるが香澄には聞き覚えのあるものだ。
6年前、後処理のためにしばらく滞在した際に香澄は沙耶と何度か接する機会があった。
元々内気で人見知りをする性格だったらしく、その時はもっとおどおどした感じではあったが根本的な部分での声質は変わっていない。
今、その少女の顔には穏やか過ぎるほどの笑みが浮かんでいた。
「ああ、お前は随分大きくなったな」
いつでも動き出せるように全身に神経を巡らせながら香澄は応じる。
こちらは対峙する少女とは打って変わって無表情だ。
「それは……あれからもう6年も経ちますから。でも香澄さんは変わりませんね。あの時と全然変わらずきれいなまま」
「髪、切ったんだな。せっかく綺麗だったのにもったいない」
妹の方が成長し、顔付きといい体付きといいうりふたつと言っていいほど似通った姉妹の間には、1つだけ外見上決定的な違いがあった。
6年前は2人とも髪を長く伸ばしていたが、今目の前にいる少女はショートカットにしていた。
なにげなく言ったその一言で、目の前の少女の笑みに自嘲の色が混ざる。
「やっぱり似合わないですよね。自分でもそうじゃないかなって思ってたんです」
次の瞬間、少女のシルエットに変化が生じていた。
短く切りそろえられていた髪先が風もないのにざわめいたかと思うと、瞬きするほどの間に腰に届くほどに長さを増していた。
本来ならありえない光景にも香澄は動じた様子を見せない。
それがさも当たり前のことであるかのように。

「驚かないんですね」
少女が残念そうに呟く。
「これで驚いていたら退魔師なんて廃業だよ。その程度一目でわかる」
目の前の少女は既に妖魔に取り込まれている。
人と人でないもののそれを混ぜ合わせたような気配は一目見たときから感じていた。
大半の場合妖魔に食われた人間は一方的に取り込まれ存在を失う。
しかし稀にではあるが半ば融合に近い形の現象が起きることがある。
その場合姿形だけでなく記憶まで保持したままでいられることも珍しくはなかった。
ただ心はそうはいかない。
6年前の少女は器だけを残してもういない。
今までの会話も少女の姿を借りた妖魔からしてみたらメインイベントの前の余興みたいなものなのだろう。
そしてメインイベントの幕が開くのも間もなくだ。
香澄はそれまでずっと棒立ちだった目の前の少女が、かすかにではあるが重心の位置を移動させていることを見て取った。
それは跳びかかる前の予備動作。
「自分の不始末は自分で拭う。巻き込んでしまった沙耶には悪いがな」
こうなってしまえばもう元には戻れない。
「香澄さんの不始末? 何の事ですか?」
少女の体からいまにも跳びかからんばかりに蓄えられていた力がわずかに散る。
どうやらまだ会話を続けるつもりらしい。
「6年前に張った結界さえ壊れなければ沙耶が取り込まれる事はなかった。どんなに謝っても償いきれるものではない」
せめて姉と同じように自分の手で決着をつけてやることぐらいしか、6年前のあの内気な少女のためにしてやれることが思いつかなかった。
だが続いて少女の口から紡がれた言葉は香澄の予想を裏切るものだった。
「それは違いますよ。だって結界を壊したのはわたしなんですから」
「ふざけたことを言うな。沙耶が何の為にそんなことをする必要がある。仮にやろうとしても普通の人間がそう簡単に結界に干渉などできるはずがない」

「結界を壊した理由も効果も、ちゃんとありました。方法に関しては……わたしも色々と勉強しましたから」
少女の瞳がかすかに揺れる。
それはほんの一瞬で、それが何を意味するのか読み取る暇もない内に穏やかと言っていいほどの笑みの奥に隠れてしまった。
目の前の少女の言葉を信じれば、沙耶は自分の意思で結界を破壊した事になる。
(私を呼ぶため……か?)
日本中を、場合によっては世界中を飛び回っている香澄は普通の手段では連絡がつかない。
もちろん依頼を受けたり退魔師間での情報交換のための連絡経路は存在するが、沙耶の父親ならともかく彼女がそれを知っているはずがない。
そして、例え直接父親に尋ねたとしても答えてはくれないだろう。
あんな事があった以上、娘をいたずらにこちらの世界に近づけようとする親はいない。
だから香澄が設置した結界を破壊した。
その結果結界の異変を察知した香澄は今ここにいる。
方法のことはともかく、それで一応の筋は通っている。
そしてそんな手間をかけてまで沙耶が自分を呼ぶ理由に関して、香澄は1つだけ思い当たるものがあった。

「復讐……か」
目の前の少女にさえ届かないほどの小さな呟き。
内気な少女にとって最も大切だった姉を奪った存在に対して、復讐の念を持つなという方が無理な話かもしれない。
その思いは当初は妖魔へと向けられたのだろう。
香澄が屋敷を発つ前夜、連れていってほしいと、退魔師にしてほしいと言ってきた少女の必死の表情が脳裏に甦る。
しかしその願いを叶えられなかった。
拒絶したのは他でもない香澄だ。
ならば行き場を失った復讐の念は、次はどこへ向かうのか。
もう元には戻れなかったとはいえ、香澄は6年前沙織の命を断った。
そのことは包み隠さず沙耶にも話してある。
まだ辛うじて息のあった姉を助けることができる力を香澄が持っていたら――。
もっと早く助けに来てくれていたら――。
そして姉を奪った妖魔に対する復讐の機会を与えてくれなかった香澄。
6年という時間が復讐の対象を香澄に向けさせたとしても不思議はない。
香澄自身あの時の行動が間違っていたとは思わない。
まだ辛うじて人であった内に沙織の命を断ったことも、退魔師になりたいといった沙耶の願いを受け入れなかったことも。
それでも結果として1人の少女の運命を狂わせてしまったことに何も感じないわけにはいかなかった。
「それならなおのこと、私の手でケリをつける」
それが戦闘開始の合図になった。

少女が床を蹴る。
なにげないその動作からは想像もできないほどの加速が生まれた。
一瞬で肉薄し、低い姿勢から見上げる少女と目が合った。
そこから香澄の喉を目掛けて腕が伸びる。
だがその腕が目標に到達する前に、少女の体が大きく後ろに跳ね飛ばされた。
体勢を低くした少女の、さらに低い位置から跳ね上げられた香澄の膝が当たったのだ。
直前で腕を防御に回したため少女にダメージはない。
防御されたことに関して香澄の側に落胆はなかった。
直前の動きからして少女の身体がかなり強化されているのは一目瞭然であり、例え直撃させたとしても有効な打撃となるかは疑問である。
再び開いた距離を挟んで2人が視線を交差させる。
「やっぱり、人間が相手だとあの力は使えないんですね」
“あの力”、少女が言っているのは6年前苦もなくゼリーを蒸発させたものだ。
少女の突撃はそれを確かめるためのものだったようで、こちらもまた攻撃が届かなかったことによる落胆はなさそうだった。
実際の所、香澄の力は妖魔以外には発動しない。
相手が妖魔であれば近づくことさえ許さないが、人間相手では何の意味もない。
それ故、融合体とはいえ肉体的に人間としての部分が大きければ反応しない。
それでも力を封じられたはずの香澄に焦りの色はない。
「そんなことは承知の上だ」
確かに香澄の力は人間相手には効果がない。
だがそれは相手に対する制限にもなる。
人間相手には効果がない。
故に彼女の力から逃れるためには人間の枠を外れることができない。
せいぜい肉体的に少々強化して運動能力を高める程度で、弱点も人間のものに縛られている。
香澄は懐から手の平に収まる程度のナイフを取り出した。
妖魔相手ならこんな小さな刃物など何の役にも立たないが、人間相手ならば当たり所次第で命を奪うに十分な凶器となる。

一方の少女も、自分の命を充分に奪いうる刃物を見ても全く動じた様子を見せず、笑みを浮かべたままで再び床を蹴った。
軌道も速度も1度目の突撃と全く変わらない。
先ほどと同様一瞬で香澄の懐に入った少女を膝ではなくナイフが迎え撃つ。
香澄にしてみれば牽制程度で放ったその切っ先は、彼女の予想に反して無防備な少女の左胸にいとも簡単に吸い込まれていた。
「なっ!?」
この部屋に入って初めて、香澄は声と表情に動揺の色が浮かぶのを抑えられなかった。
予想外の出来事に一瞬ナイフの柄を掴む力が緩む。
目の前の少女が声とも言えないほどの呼気を放ち、深々と刺しこまれたナイフごと胸を押さえ後退する。
その動きは向かってきた時とは比べ物にならないほど遅く、そのまま覚束ない足取りで何歩か後退したあと少女はゆっくりと床の上に崩れ落ちた。
薄闇の中でそれ自身が淡い燐光を纏っているかのような少女の裸身。
ナイフの根元から溢れ出した血が、白い大地を分かつ幾筋もの川となって床へと流れ込み積もった埃を押しのけていく。
あまりにあっけない幕切れに呆然としていた香澄だったが、すぐに我に返り倒れた少女のもとへと向かった。
いきなり動き出しても対処できるように慎重に近づいていく。
だがどこまで近づいても少女の体はピクリとも動かない。
完全に、死んでいた。
小振りながらも形良く盛り上がった乳房に墓標のように突き立つナイフを抜き取ると、それが短い生涯を終えた少女の最後の一息のように血が溢れ出した。
「すまんな……」
それだけ呟き、空虚感に包まれながも扉に向かう。
扉を開け、一歩を踏み出そうとした香澄はそこで言葉を失った。
殺したはずの少女が、そこにいた。

反射的に横に飛ぶ。
一瞬の後、直前まで香澄のいた場所を少女の白く細い腕が貫いていた。
「不意をつけば、と思ったんですけど」
さして落胆の色も見せないまま少女が部屋に入ってくる。
先ほど殺した少女と寸分違わぬ外見と声を持つ少女が目の前に立っている。
香澄は目の前の少女に注意しながら横目で部屋の中央を確認した。
そこには確かに胸を刺された少女が倒れている。
「いくら力が使えなくても1対1で香澄さんをどうにかできると思うほどわたしは自信家じゃありません」
そこで目の前の少女は言葉を止める。
だがそれに続く声があった。
全く同じ声。
だがその声の発生源は目の前の少女ではなかった。
「でも、1対1じゃなければ」
新たな少女が姿を現した。
「もしかしたら」「どうにかなるかも」「しれません」
リレーのように言葉を繋げながら、1人また1人と全く同じ姿を持つ少女が部屋に入ってくる。
その光景を見ながら香澄はナイフを握る手に力を込めた。
柄に感じるわずかにぬめりが1人目の少女の返り血だけではないことを香澄は自覚していた。

妖魔なら最初から相手にはならない。
いくら強化されていても1対1なら負ける気はしなかった。
たとえ相手が複数であっても普通の少女なら何の問題もなかった。
だが強化された複数の人間相手に1人で切り抜けるにはあまりにも相手の数が多すぎた。
窓から差し込むかすかな月灯りを反射しながらナイフが閃き、1人また1人と少女の命が断たれていく。
だがそれを上回る早さで扉からは次々に少女が補給されていく。
戦いながら1つだけある窓に目をやるが、その周辺は開始直後からずっと数人の少女が守っている。
無理に突破しようとしても自分の首をしめる結果にしかならないことは容易に予想できた。
かといって何人いるかわからない相手と永遠に闘い続けるのは体力的に不可能だ。
八方塞がりだった。

疲労がたまり徐々に腕が重くなっていく。
そのせいでもう何人目かわからない少女の胸に刺し込んだナイフを引くのが一瞬遅れた。
心臓を貫かれた少女が1人目がそうしたように、最期の力で香澄の手からナイフをもぎ取り背後へと倒れ込んだ。
1人目の時とは違い、ナイフを回収する暇は与えられなかった。
素手での打撃では強化された少女に致命傷を与えることはできない。
殺されなくなった分増加のペースを増した少女達は、がむしゃらに香澄の腕や足にしがみつき彼女を床の上に引き倒そうとする。
技術も何もない戦法ではあったが、それを退けるだけの体力は既に香澄には残されていなかった。
床の上に大の字に倒された香澄は無理に振り払おうとはしない。
単純な力比べなら1対1でも分が悪いのだから、いくら鍛錬を積んでいるとはいえ数人掛かりで押さえ込まれてはどうしようもなかった。
乱れた息を少しでも整えるために大きく息を吐く。
香澄のように力を持った人間は妖魔にとって滅多に食べられない分ご馳走だ。
捕らえられてもすぐには殺されない。
これから何をされるのか想像するだけでも悪寒が走るが、その行為の中で隙を見つけて逆転するしかない。
そう覚悟を決めるしかなかった。

「やっと、わたしのものになってくれましたね」
少女は香澄の頭の横に立ち、それまでとは違う恍惚の笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
そのまま屈みこみ、香澄の豊かな胸の隆起へと手を伸ばしてくる。
しばらくの間、少女は服の上から香澄の胸を撫でていたが、その手が不意に止まった。
見れば少女は眉を寄せ、困ったような表情を浮かべている。
「これだと服を脱がすことができないですよね。だけど放すわけにはいかないし……」
少し考え込んだ後、何かを思いついたように少女は香澄から離れ、すぐにまた戻ってくる。
その手にあるのは殺された少女達の返り血に塗れたナイフ。
「動かないでくださいね。傷、つけたくないですから」
まずは上着がブラごと剥がされ、動く際に邪魔にならないよう本来より小さめのサイズの下着によって締め付けられていた乳房が外気に晒される。
弾けるように顔を覗かせたそれは、鍛えられた筋肉によって仰向けになっているにもかかわらず形を崩さない。
それでいて土台部分の頑強さと対照的に乳房自体はフルフルと小刻みに揺れて、その柔らかさを精一杯主張していた。
「やっぱり……すごくきれいです」
うっとりとした声で少女が感想を告げる。
一方の香澄は床の上に倒されて以来一言も発してはいなかった。
最初に胸に触れられた時も、身に纏う衣服の面積が刻一刻と減少していく今も、込み上げてくる羞恥がないわけではない。
だがそれを表に出したところで相手の行為を止める役には立たず、むしろ相手を喜ばせるだけだ。
対する少女は香澄の無反応さなど気にもかけないように作業を進めていく。
その手際は思いのほか滑らかであり、大した時間もかけずに香澄は少女と同じく一糸纏わぬ姿となっていた。
「準備はもうすぐ終わりますからもう少しだけおとなしくしていてくださいね。特に次のは失敗すると怪我じゃ済みませんから」
少女が自らの髪を1本だけつまみ、それをナイフで半ばから切り落とした。
5センチほどの長さになったそれは、見る見るうちに少女の指の先で硬度を増し1本の針へと変貌する。
「動かないでくださいね」
念を押すその言葉とともに、その針先が香澄の首に横から宛がわれた。

「何をする気だ」
さすがにこれには香澄もわずかな動揺を隠せなかった。
服を奪われることも、そしてこれから受けるであろう性的な責めも、予想はできていた。
生きてさえいればチャンスはある。
それがどれほど低い確率かを承知の上で、それでもそれだけが香澄にとって心の支えとなっていた。
「大丈夫。痛くないですから」
少女は香澄の問いには答えず、ただ注射を前にしてむずがる子どもをあやすような声音でそう言い、針を持つ手を進めていく。
皮膚の表面でわずかな抵抗があった後、十分な硬度を持たされた髪は香澄の体内へと侵入を開始した。
「……っ」
少女の言葉通り痛みはなかった。
ただ肉の隙間を何かが潜り抜けてくる異物感だけが香澄の背筋を震えさせる。
「これで準備完了です」
根元まで押し込んだ少女は満足そうに、そしてこれからのことを想像しているのか期待に満ちた声音で言った。
首という場所から、当初は体を麻痺させるためのものではないかと香澄は推測した。
だが手足に力を込めてみても、もちろん押さえ付けられ動かすことはできないが、それでも力を込めた時に違和感はない。
「何をした?」
もう1度問いかけた香澄に対する応えは、少女の口からではなく、香澄自身の両手足から来た。
体の中ではなく外。
押さえ付けていた無数の少女の手の平の感触が消えたと思った瞬間、両手足の肘と膝から先全体が何かに包まれる感触。
(馬鹿なっ!?)
慌ててそちらに視線をやった香澄は、自らの手足が半透明のゼリーによって床に縫い付けられている光景に愕然とした。
6年前少女を飲み込んでいた琥珀色のゼリー。
それはありえないはずの光景だった。

香澄の力は自分でも制御できないものだった。
本人が気を失っても、すくなくとも死なないかぎりはスイッチは常にオンで固定されているはずの力。
十数年もの間常に自分を守っていた鎧の消失は、服を切り裂かれた時をはるかに越える衝撃を香澄に与えていた。
「これで、もう何もできないですよね」
少女は香澄の下腹部を愛しそうに撫で回し始めた。
「だからもう耐えようとしなくていいですよ。わたしに任せて気持ち良くなってくれれば」
催眠にでもかけようとするかのような優しい声。
「誰がっ!」
軽いパニックに陥った頭で、それでも誘惑を打ち払うように香澄が叫ぶ。
だがそれが虚勢に過ぎないことは自分でも嫌というほどわかってしまう。
そしてそれは目の前の少女にも筒抜けだったようだ。
「もう……本当に強情なんですね。あの時も」
少女がわずかに寂しげな色をその声と表情ににじませた。
一瞬だけ浮かんだそれが香澄の頭の片隅に引っかかる。
しかしその事に思考を巡らす暇はなかった。
「なら、これはどうですか?」
その言葉とともに下腹部に生まれた違和感に香澄は目を剥いた。
今も首にある違和感を何百倍にも増幅したような感覚。
それもそのはず、香澄の下腹部を撫で回していた手の平はいつのまにか指を立て、あろうことかその指先を彼女の体内に埋没させていた。
「最初は気持ち悪いかもしれませんけど、すぐに良くなってきますからね」
香澄がその光景に唖然としている間にも少女の手の平は見る見るうちに体内へと潜っていく。
痛みもなければ出血もない。
それ故に異物感だけがより一層強調されて伝わってくる。
「あれ?」
少女が不意に手を止めた。

(……中で触られてる!?)
膣を中から押し広げられるのではなく、外側から包み込まれるというありえない感覚に香澄は身を震わせる。
一方の少女は何かを確かめるようにさわさわと膣壁に沿って指を這わせた後、わずかに落胆したような表情を作った。
「香澄さん初めてじゃないんですね」
いきなり予想外の事を指摘され香澄の顔が羞恥に歪む。
「お前には、関係ないことだ」
「関係なくありません。わたしは香澄さんの初めてが欲しかったんですから」
少女は心底残念そうに呟き、だがすぐに気を取り直したように手の動きを再開させた。
「でも、これはきっと初めてですよね」
その言葉とともに生まれた異変に香澄は息を呑んだ。
1日に何度かその存在を意識する器官――膀胱が、自然ではありえない速度で膨張していく。
それはあっという間に尿意を催すなどというレベルを超え、ズキズキとした痛みまでも生み出していく。
「何を……」
ようやく手が引き抜かれ下腹部の違和感はなくなったが、その事でより一層痛みを強く認識してしまう。
「素直になれるお薬ですよ。苦しかったら出してもいいですからね」
「誰がそん……んんっ」
自分でも強がりだとわかる言葉が新たに生じた変化のせいでむりやり中断をさせられた。
痛みが徐々に引いていき、代わりにジンジンとした熱が生まれて全身へと広がっていく感覚。
(これは……媚薬なのか?)
排泄をさせることで心を折ろうとしていると予想していた香澄の頭に迷いが生まれる。
今この瞬間も先ほどむりやり拡張された器官が元の大きさに戻りつつある。
それはつまりそれだけ悪質な意図の元に投与された薬が体内に吸収されているということだ。
それを妨げる方法はただひとつ。
だがそれを自分の意思で選択することはさすがに躊躇われ、そんな香澄の葛藤を嘲笑うように、迷っている間に尿意は完全に消失していた。
「全部飲んじゃったんですね」
どのような手段によってか自分が注ぎ込んだ液体が空になった事がわかるらしい。

本来排泄するための器官から吸収された薬の影響は、すぐに全身に及んでいた。
体表からは戦闘によるものとは異なる汗が珠となって浮かび、肌も目に見えて赤みを帯び始める。
そして何よりその薬の効果を強く受けているのは膀胱の傍らにある子宮と、そこに繋がる膣だった。
それ自体が燃えているような錯覚に陥るほど熱を持ったその器官は、早くもこれから行われる事に期待して準備を始めてしまっていた。
本人の意思に反して分泌された液体は尿と異なり止めることができない。
「こっちの方がお漏らししちゃってますね」
わずかに滲み出したその液体を目ざとく見つけた少女がその源へと指を伸ばす。
「ふぁぅっ!」
ただなぞられただけ。
それだけにもかかわらず与えられた快感は想像を絶していた。
少女の細い指が触れた瞬間まるでお互いの体が電極となっているかのように桃色の電撃が体中を駆け巡る。
文字通り感電したかのように腰が跳ね上がってしまうのを止めることができなかった。
それは今もまだ床に貼り付けられたままの四肢を引き剥がしそうになるほどの勢いだ。
「ふふ、そんなに気に入ってくれたならおかわり上げますね」
少女が無邪気にそう告げる。
しかしそれは告げられた香澄にとっては到底歓迎できるようなことではなかった。
再び体内に違和感が潜り込み、1度は縮んだ膀胱に新たな液体が流し込まれる。
今回は最初から痛みはなく、それどころか限界まで引き伸ばされる感覚がそのまま甘い痺れとなって子宮へと染み込んでくる。
(このままでは……)
今回は迷っている暇はなかった。
香澄は意を決して括約筋に込められていた力を抜いた。

出口を求めて渦巻いていた媚薬がようやく開いた細道へと殺到する。
限界まで詰め込まれていたことに加え、一刻も早く排出しなければという思いのせいで、飛び出した媚薬の勢いは宙に大きなアーチを描くほどだった。
「くぅ……ぁ……」
他人に見られながら排泄をする羞恥と限界まで溜めていたもの排泄する開放感が頭の中で混ざり合う。
「今度は出しちゃったんですね。でも大丈夫ですよ、何回でも入れてあげますから」
羞恥に塗れた排泄を終え息を吐いた香澄に対して、少女は責めの手を休めなかった。
「な、や、止め……」
3度目の感覚。
制止の言葉を言いきる事すらできぬ間に、またも限界まで拡張されていた。
「次はさっきより喜んでもらえると思いますよ」
笑みを含んだ少女の言葉を理解する余裕もなく、香澄は再び排泄するために意識を集中させた。
「ふああ、な、なんだ、これは!?」
前回と同様に勢い良く噴き出した擬似小水がすぐに止まる。
尿道を液体が通過していく瞬間、そこから信じられないほどの快感が生み出され、予想もしていなかった刺激に反射的に尿口を締めてしまったのだ。
あれほど強烈だった先ほどの少女の指に陰唇を触れられた時の快感すら霞むほどの激感。
尿道を液体が通るという日常的な刺激のはずなのに、まるで膣を太い何かで擦り上げられたかのように思えてくる。
男性相手の経験がない香澄の脳裏に浮かぶのは彼女が退魔師となるきっかけになったあの出来事の中で触手を挿入された時の記憶だった。
(でも、なんでこんなところで……)
「さっき出したときに尿道からも少しずつ吸収されていたんですよ」
香澄の反応に気を良くしたのか、少女が内心の問いに答えてくれる。
だが途中まで出かかったものは長い間止めておくことはできない。
「だめ、出ちゃ、ひぅう……んぁ、と、とめ」
堪えきれなくなりわずかに排泄し、その刺激でまた反射的に尿口を締めてしまう。
そしてまたすぐに堪えきれなくなり、またわずかに漏らす。
しかも時を経るにつけ尿道から吸収された媚薬の効果が増していく。
出そうとすれば腰が溶けそうなほどの快感が生まれ、かといって留めておけば吸収された媚薬によってより一層敏感になっていく。
どちらを選択しても少女にとっては好都合の、そして香澄にとっては絶望的な2択だった。

前回の何十倍もの時間をかけた排泄が終わった時には、香澄の息はもう上がりきっていた。
「そろそろ、いいですよね」
「はぁ……はぁ……ひぅん!?」
酸素を貪っていた香澄は再び陰唇を少女の指になぞられて腰を跳ね上げた。
そこはすでに充分過ぎるほどに綻び、触れただけで淫猥な水音を立てるほどに濡れそぼっている。
「中までちゃんと」
指先をわずかに埋没させて確認すると少女は香澄の足の間へと移動した。
「今度はわたしの準備をしますから少しだけ待っていてください」
香澄の足の間で膝立ちになった少女はそう言って両手を自らの体に這わせ始めた。
右手の中では小振りな乳房が絶えず形を変え、下腹部で上下にスライドする左手の下からはかすかな水音が聞こえる。
「んぅ……はずかしい、です。でも見ててください。わたしのはずかしいところ、全部」
白く靄がかかったような視界の中で、自らの胸丘越しに展開される少女の自慰行為。
恥ずかしげに伏せられた瞼、朱に染まる頬、声を抑えるためにか噛み締められた小さな下唇、緩く振られた首に合わせて宙を舞う黒髪。
なるで別世界で行われる神聖な儀式のようなその行為に、香澄は自分が捕らわれの身であることも忘れて見入ってしまう。
「ふあ、来ます……もうすぐ、香澄さんに見られながら、わたし……」
食い入るように見つめる香澄の視線を文字通り肌で感じているのか、少女の行為は加速していく。
目まぐるしく踊る指の隙間から覗く胸の蕾はしこり立ち、時折指に挟まれて持ち主の身を震わせるスイッチとなる。
下腹部からの水音は絶え間なく聞こえるようになっていた。
「香澄さんっ、わたし、んんんぅーーーっ!!」
少女の体が弓なりに反りかえる。
鴉の羽のように広がった黒髪を背景に、全身から振りまかれた甘い芳香を持つ汗の珠が星のように煌いた。
幾度かの痙攣を繰り返した少女の体が前のめりに倒れてくる。
そのまま香澄の上に覆い被さりそうになり、少女は辛うじて両手をついてそれを堪えた。
感度を増した香澄にとっては、胸の上の少女の荒い息遣いすら優しい愛撫のように感じられわずかに身を捩らせる。
そのまま顔を埋められたら、可憐な花びらのような唇で胸の頂きを摘まれたら。
そんなことを想像してしまい、香澄は咄嗟にその考えを振り払った。
(何を考えている、私は……)

「んぅ、出てきます……でちゃう」
香澄の体の上で四つん這いになっていた少女が再び息荒げながらを腰を左右に振り始めた。
わずかに残る理性では目を逸らそうと思っているのに、まるで花の香りに導かれた蜜蜂のように香澄の視線は誘うように揺れ動く少女の下腹部に吸い寄せられてしまう。
生まれつきなのか無毛の恥丘の下に走る1本の縦筋。
1度の絶頂と腰の動きによって時折その隙間から垣間見える肉色。
同性である香澄でさえも思わず唾を飲んだその部分で新たな異変が起こり始めた。
開花間近だった花びらが内側から捲くれあがり、中から押し出されるように愛蜜が溢れだして糸を引きながら香澄の陰唇へと滴り落ちる。
そしてその後を追うようにゼリー状の物質が頭を覗かせた。
「くふぅぅ……」
そのゼリーの動きによって快感を与えられているのか、少女は堪えるような吐息を漏らす。
香澄の手足を貼り付けているものと同じ色を持ったそれは見る見るうちに長さを増していく。
(は、入ってくる!)
そのまま貫かれるという想像に、恐れとそして自分でも信じられないことにわずかな期待感が頭をよぎる。
だが彼女の予想に反して、そのゼリーは先端が香澄の秘園に到達する直前で成長を止めた。
思わず安堵と失望の入り混じったため息を吐く香澄。
一方でゼリーの成長が止まったことでこちらも少し落ちついたのか少女が体を起こす。
再び香澄の足の間で膝立ちになった少女の股間に聳え立つ擬似男根は、改めてみるとあまりにも異質な存在だった。
少女自身が本物の勃起した男性器を見たことがないのか、そのシルエットはちょうど皮を剥いたバナナのように先端に行くほど細くなっていく。
ただ、これもまた少女が本物を知らない故なのか、そのサイズはあまりにも本物と掛け離れていた。
少女の肘から先と比べても遜色ないほどの大きさは、いかに少女の腕が掴めばそれだけで折れてしまいそうなほどに細いとはいっても尋常ではない。
しかも少女の矮躯との対比がその凶悪さをさらに強調する。

「お待たせしました。でもこれでわたしも香澄さんを感じられますから」
少女は自らの下腹部から生えた擬似男根を愛おしげにさすりあげる。
本人の言葉通り感覚が繋がっているのか、少女は気持ち良さそうにその身を震わせた。
「入れやすくしますからね」
左の膝裏に少女の手が差し入れられ、ゆっくりと持ち上げられていく。
ゼリーによって床に貼り付けられ、香澄が力を振り絞ってもビクともしなかった足が易々と持ち上げられ少女の肩へと乗せられた。
「さあ今度は一緒に……」
陶然とした言葉とともにゆっくりと進められる少女の腰。
「ぐぅ……かはぁ……」
ついに開始された挿入に、香澄は苦悶の呻きを上げた。
いかに前戯を施されていたとはいえ、その男根はあまりにも太すぎる。
まだ半分も埋没していないにもかかわらず、裂けないことが不思議なほどの痛みが脳を直撃した。
「まだ痛みますか?」
「あ、たり……まえだ……そんなモノ……」
気遣うような声音に思わず絞り出した言葉。
「少しだけ我慢して下さいね。きっとすぐに良くなってくると思いますから」
少女の言葉はすぐに香澄にも実感できるものになった。
頭のすぐ側で鐘を打ち鳴らされていたような痛みが徐々に遠ざかっていくかわりに、さきほどまで全身を支配していた快美感に指先まで満たされていく。
(あれからも媚薬が……)
桃色に塗りつぶされていく意識の片隅でそう思ったときには口から漏れる声が抑えられなくなっていた。

「あん、香澄さん、すごい締め付けてきて、わたしの方がもう……」
「ふぁ……もう、うごく……な……ひぁぅっ!」
片足を持ち上げられわずかに浮いていた尻に何かが触れる。
その感触に目をやると、それは香澄の左足を床に縫い付けていたゼリーだった。
役目を終えて手持ち無沙汰になったそれが新たな仕事のために移動してきていたのだ。
ゼリーはその全身をプルプルと震わせながら、脇腹を這い上がり香澄の身体の上をゆっくりと動いていく。
その目的地は一目瞭然だった。
「くる、な……それ以上……」
肌の上を這いまわる感触だけでも全身が震えそうなほどの快感が込み上げてくる。
「あ、あああぁあ……」
2つの膨らみが再び外気から遮断され、絞り出すような声が漏れる。
形だけは下着のように両の乳房を包み込んだゼリーは、しかし下着とは全く逆の役目をもっていた。
守るのでなく、むしろそれ自身が積極的に中の物を苛め始める。
「ふっ……くぅ、あぁ……」
ゼリーの中で1秒と同じ形を保たせてもらえない果実からとめどなく快感が溢れ出す。
それに合わせるように打ち付けられる少女の腰も加速していく。
もはやそこから生まれる感覚の中には一片の痛みもなく、ただただ脳がグズグズに溶けそうな甘さだけが送られてくる。
「で、出ます。香澄さんの中にっ!」
最後に残された一欠片の理性、それが身体の1番奥に浴びせ掛けられた熱い奔流に押し流された直後、香澄は天高く打ち上げられたような感覚の中で、意識は薄れさせていった。

「……すみさん、香澄さん」
自分の名の呼ぶ声と、肩に触れる誰かの手。
眠っている相手を起こそうとするにはあまりにも優しすぎるのではないかという揺さぶりを感じながら、香澄は薄目を開けた。
眼球に薄い膜がかかったように白く霞む視界の中にあるのは、涙でクシャクシャになっている少女の顔だった。
「……沙、耶か」
頭の芯が痺れたように重く、状況がよく掴めないままに浮かび上がってきた名前を呟く。
「香澄さん、良かった!」
香澄の反応を見た少女が覆い被さってくる。
こちらの胸に顔を埋めるようにして嗚咽を始める少女の頭をぼんやりと眺めていると
直接肌が触れ合う感触に、ようやく自分が何も身に纏っていないことを自覚した。
それに気付くと芋づる式に気を失う前のことが蘇ってくる。
「……いったい、どういうことだ」
自分は沙耶の姿を借りた妖魔との戦いに敗れ、その後の責めの中で意識を失った。
そこまでは何とか思い出せたものの、そこから今の状況までがどうしても繋がらない。
手足はまるで鉛を詰め込んだかのように重いが、ゼリーによる戒めからは解放されていた。
香澄の力を強制的にシャットアウトしていた首の異物感もない。
床の上で仰向けに寝ている自分の上に覆い被さるようにして泣いている少女も別人のようだ。
とはいえ少女に関してはむしろ気を失う前に対峙していた時こそが、6年前からしてみれば別人だったのだが。
唯一この部屋で起こった事が夢ではなかったと実感させてくれるのは、皮肉な事に下腹部に何かを差し込まれているような異物感だけだった。
かつて妖魔に蹂躙されかろうじて助かった時は、自分という存在が細い蝋燭の火になったような喪失感を抱えながら目を覚ました。
しかし今全身を包む倦怠感は充足感の裏返しのようなもので、あの時の感覚とは全く正反対のものだ。
ちゃんと動くことを確かめるようにゆっくりと両手を動かして少女の身体を引き離し、自らも上半身を起こす。
「ご、ごめ、んなさい……わたし……っく……あんなこと、するつもりじゃ……」
泣きつづける少女の嗚咽の中に時折混じる言葉。
そこから少女がこの状況について何かを知っている気配が感じ取れたが、少女の方もパニックになっているのかまとまった話を聞けそうな雰囲気ではなかった。

しばらく待って、ようやく少女の嗚咽が治まってくる。
その間改めて注意深く探ってみても少女からは妖魔の気配は感じ取れなかった。
あんなことがあった後である以上、感覚自体が麻痺しているという可能性もなくはなかったが、少なくとも自分ではそんな感じには思えなかった。
「少しは、落ち付いたか?」
「……は、はい」
問いかけにちゃんと返事がくることを確認して、香澄はずっと気になっていた疑問を口に出した。
「お前は、本当に沙耶、なのか?」
「はい」
少女は頷きながら簡潔に応える。
「なら、どうしてあんな! ……いや、すまない、とにかく事情を説明してくれないか?」
思わず語調が強くなってしまい、少女が怯えるように肩を震わせたのを見た香澄は極力声を抑えて言葉を続けた。
俯いたままの沙耶はしばらくの沈黙の後、ようやく重い口を開いた。
「……あの、わたし、でも」
要領を得ない言葉。
それが再び潤みを帯び始めた。
「わかった。無理に話さなくてもいい。それならこちらの質問にだけ答えてくれ。わからなかったり、答えたくないことには答えなくてもいいから」
「……はい」
「まずは……この館にあった結界を壊したのは本当に沙耶なのか?」
いきなり全ての解答を得られないと悟った香澄は1つずつ順に確認することにした。
この部屋で対峙した少女が自分がやったといっていたその行為。
姿形はそのままで、しかし別人のようになった目の前の少女は首を縦に振った。
「なぜそんなことをした? 私を呼ぶためなのか?」
その問いに少女はしばし逡巡するように動きを止めた。
動きを止めた沙耶に、この問いが彼女にとって答えられないか答えたくないものなのかと当たりをつけて次の質問に移ろうとしたとき、不意に沙耶の口から震える声が聞こえてきた。
「それは……半分です」
「半分?」
否定とも肯定とも言いきれない答えにその言葉を繰り返す。

「結界を壊せば香澄さんが来てくれる。そう思ったのも本当です。だけど1番の目的は……」
言葉を続けることを躊躇っているような一瞬の間。
「力が、欲しかったんです」
「力?」
そこからは堰が切れたように、沙耶は自分が結界を破ることがどうして力を得るということに繋がるのかを説明した。
だが、その説明は香澄にとってはすぐには受け入れがたいものだった。
曰く、沙耶の生まれた高槻はかつて退魔を生業としていた一族であり、あろうことか妖魔をその身に吸収することで戦うための力を得ていたというのだ。
にわかには信じ難い話ではあったが、そうだとするとある程度納得できる事柄もあった。
6年前、特別な訓練を施されていたわけでもない沙織が半日も妖魔を抑えていられたこと。
もちろん第1には妹を想う強い気持ちがあったのだろうが、その高槻の血がそれを手助けしたと考えた方が納得がいった。
「だから、今でもわたしの中には妖魔がいるんです」
沙耶はそう言って下腹部に手を当てる。
ずっと俯いたままのためわかりにくいが、わずかに翳りを帯びたその表情に、香澄の頭に新たな疑問がわいてきた。
さきほどの結界を破った理由を問われた沙耶は、力を得るためと答えた。
その答えにはなぜ力を求めたのか、という部分が抜け落ちている。
当初予想していた姉を殺した自分に対する復讐という理由は、十分に辱めて満足したという様子でもない今の沙耶の様子を見ていると腑に落ちない。
かといって妖魔に対する復讐が目的なら、自分に襲いかかってくる理由はないはずだった。
(あの時だけ制御を失っていたのか?)
初めて聞いた力だけに詳しいことは香澄にはわからないが、普段は抑えていられても時として妖魔の意識が主導権を握る場合があるのかもしれない。
「あの時、私と戦っている時はどういう状態だったんだ?」
「あの時は、ちゃんと自分の意思で動いていました」
「それならあの時の様子は……」
「必死で演技してたんです。その方が香澄さんが本気を出してくれると思ったから。証明したかったんです。わたしだってちゃんと戦えるって」
それは香澄をさらに混乱させるには十分な答えだった。

「なら、その後のことは……」
自分でもあまり掘り起こしたくないことではあったが、そうも言っていられなかった。
少女にとってもそれは同様だったらしく目に見えるほどビクリと身体を震わせる。
「わたしにも……わからないんです。あんなこと、するつもりじゃなくて……。なのに我慢できなくなって」
「つまり、あれは沙耶の意思ではなかったのか?」
「それは……たぶん、違います」
「違う?」
「わたし……心の奥で、あんな事がしたいって思ってたんです。だけど、ずっと、ずっと押さえつけてきて」
敬虔な信者が神父に対し行うような、自らの醜い部分を曝け出す懺悔の言葉。
突然沙耶が俯かせていた顔を上げた。
涙を湛えた瞳。
睨みつけているといっていいほどの力を込めて送られるその視線に一瞬香澄は圧倒される。
それと同時に6年前、この屋敷を発った前の晩に向けられた瞳を思い出した。
「あんなことをしておいて、今更言う資格はないと思います。でも好きです。ずっと、好きだったんです」
「……は?」
間の抜けていた声が知らず口から零れ出た。
「6年前に助けてもらってから、ずっと。だから側にいられるように、一緒に戦えるようにって」
妖魔に襲われたあの事件まではスポーツに打ち込み、退魔師となってからは日本中、時には世界中を回っているため恋愛感情を持つに至った相手など皆無だった。
唯一ある程度以上長く一緒にいたことがある相手はあくまでも師と弟子の関係であり、そういう対象として見た事はない。
そんな香澄にとって全く予想できなかった突然の告白に、それが少女が力を求めた理由だと理解するまでに随分と時間がかかった。
(……なんて無茶を。とはいえ、それをさせたのは私か)
大人しい娘ほど、吹っ切れたときにとんでもないことをしでかすというのは本当かもしれないなどと香澄が思っていると
沙耶は再び顔を伏せてしまった。
「ごめんなさい……、わたし、勝手に自分の想いばっかりぶつけて迷惑ですよね。いきなりこんなこと言われて。それに、あんな……」
そのまま消えてしまいそうなほど身を縮めている。

もちろん香澄なりに少女のことを思ってのこととはいえ、1度は突き放された相手をずっと想い続けるのはどれほど辛いことだったろうか。
ましてその相手が同性となれば想いが通じる可能性は決して高くない。
そもそも香澄と沙耶ではあまりにも住む世界が違いすぎた。
自分は何も知らないまま妖魔に襲われ力に目覚め、同時に家族を失った。
だからもうこの道しか残されていなかった。
少なくともあの時はそう思った。
しかし、いくら高槻という家に特別な力があったとはいえ、年端もいかない少女が自分の意思で妖魔にその身を差し出すのにどれだけの決意が必要だったろうか。
それだけのことをやっておきながら、今目の前の少女は次に来る香澄の答えに怯えて身を震わせている。
思い返せば姉を失った直後のあの時でさえ、その姉の命を奪った香澄を責めるでもなく自分自身にその矛先を向けていた。
それに感心すると同時に、本当に自身の命を奪いかねないほどのその姿に危惧を覚えたものだった。
そんな少女を前にして、香澄は自分の胸にわいてくる不思議な気持ちを自覚していた。

(王子様なんて柄じゃないが、助けたお姫様の責任くらいは……)
「その身体、元に戻すあてはあるのか?」
「……え?」
その質問は予想していなかったのか、沙耶が目を丸くしてこちらを見る。
「……わかりません。そんなことをした人の記録もありませんし」
「妖魔を制御している仕組みがわからない以上はっきりとは言えないが、私の力だと下手をすれば沙耶ごと、ということになりかねんからな……」
今は完全に沙耶が妖魔を抑えているために香澄の力には引っかかっていない。
もしかすると徐々に妖魔としての力を解放していけば、ある1点で上手い具合に妖魔だけ消し去れるかもしれないが、それはあまりにも分の悪い賭けのように思われた。
「やはり探すしかないか」
「……あの、何を?」
考え込んだ香澄に、恐る恐るといった感じで問いかける沙耶。
「沙耶の身体を元に戻す方法を探してやる。一緒にくるか?」
精一杯の笑顔とともにそう告げる。
随分長くしていなかった表情だけに、どれだけ上手くできたかどうかは自分でも不安だったが、目の前の少女にとっては充分なだけものにはなったらしい。
「……はいっ!」
たぶん自分のものとは比較にならないほどの、文字通り花が咲いたような笑顔が飛び込んできた。

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